○○ケータイ学
2007.10.20
さてさて。
PHSサービスがはじまって10年以上が経ちました。
DDIポケットはウィルコムとなって、一時期のドン底状態から回復しました。
それどころか凄い勢いで伸びた訳ですが、ここに来て伸び悩んでいるようにも見えます。
8月は3年ぶりの純減になったりしました。
SoftBankが音声定額っぽいサービスで一気に巻き返しに入り、その勢いはauをも凌駕しています。
とはいえ、ケータイの付加機能もネタ切れ気味のようも感じます。今後どうなるか良く分かりません。
脱インセンティブの動きも始まりました。
PHSといえば携帯に比べて端末代金が桁違いに安かったのですが、今は見た目はPHSの方が携帯よりも高く見えることが多くなりました。
でもインセンテイブや割賦も絡むので、実はどっちが安いかについては一概になんとも言えなくなっています。
高速通信といえばPHSだったのも今は昔、今では携帯の方が速くなってしまいました。
でもイーモバイルなんて新しいキャリアの参入を認めたり、帯域割り当てがどうなるか不透明だったり、次世代PHSと比較したらどうなるか分からなかったり。
混沌とした時代になりました。
少なくとも「ピッチはダサイ」とか「いやPHSは音質がいい」とかいう、今までの思考回路で語れなくなっている気がします。
今までの思考回路で語れない。
じゃあ新しい思考回路で語れと言われても分からない。
だって「新しい思考回路=未知の思考回路」ですよ。予知能力でもない限り分かりません。
そこで逆の思考回路に持ち込んでみたりします。
モノの成り立ちや認識に関わるような、根源的な思考回路です。
まず、「PHSなんてものは存在しない」と考えてみます。
なんかいきなりオマエ電波の杜ブチ壊しかよ!みたいな感じですが、そうではありません。先へ進みます。
こうやってたくさんのモノが集合しているとします。

どれがどれだか良く分かりませんね。
でもそこのアナタ!いま識別しようとしましたね?
マニア心全開で、がんばってどれがどれだか見分けようとしましたね?
その基準は形かもしれないし、色かもしれません。
この写真の中から適当に1台の端末を選び、それを上や横にある端末と比較した。
アナタは違いが分かるから、それがそれだと区別できる。
違いがあって初めて、それはそれとして認識できる。
逆に違い−差異がないと、認識できない。
そして認識できないということは、存在しないということと同じです。
マニアなアナタは「違いを認識できた」から、PHSはそこに存在することができました。
でもマニアじゃない健全なフツーの人は、違いが分からないかもしれません。
その場合、「携帯がたくさんあるね」で終わってしまいます。PHSは存在しないことになります。
「認識しないと存在しない」なんて、ちょっと飛躍しすぎじゃない?
そんな声も聞こえそうです。
そんなアナタの足元に、実は時価総額1億の金塊が埋まっていました。
でもアナタも誰もそんなことは知らない。
金塊は物理的に存在したとしても、存在していないのと同じなのです。
しかしアナタは足元に埋まっている金塊を見つけることができてしまった!
どうやって?
金塊が、周りを取り囲む土とは違うからです。
その違いが分かったからなのです。
認識しなければ存在しない。
違いが無ければ認識できない。
この2つを重ね合わせると、「違いが無ければ存在しない」って感じ。
1億円あれば、新機種何台買えますかね。
インセ無しでも全然怖くない。
さてPHSにこの思考回路を当てはめると・・・・・
・PHSというものが最初からあったのではない
・PHSは携帯と違うからPHSとして認識できる
・PHSとして認識できたから、PHSは存在する
という具合ですね。
でもここで「PHSは携帯と違う」ってところに注意。
「PHSは音質がいいから携帯と違う」「PHSは安いから携帯と違う」「PHSは付加機能が少ないから携帯と違う」・・・という思考回路では間違い。
これでは最初からPHSをPHSとして認識して、その後で携帯と比較しているに過ぎません。
認識は違いが無ければできません。
「違う」ということは「〜ではない」ということです。
つまり
「PHSは携帯のような悪い音質ではない」「PHSは携帯のように高くない」「PHSは携帯のように付加機能が多くない」・・・ということです。
PHSは携帯ではないからPHSなのです。
逆もまた同じです。
携帯はPHSではないから携帯なのです。
いまいち分からない?
たとえば

さあ大変です。ディズ○ーに訴えられたら、さっき掘り当てた1億円でも足りません。
でも大丈夫。

これはミッ○ー「ではない」からです。
そう、これはタダのPHSです。でも○ッキージャン(汗)
と、とにかく(汗)
認識するには「〜ではない」という思考から始まるわけです。
先ほどの金塊も、あるいはあの写真の中のPHSも、物理的には「あり」ます。
でもそれだけです。
金塊やPHSは、自分たちが「ない」なんて考えたりしません。ただ「ある」だけです。
それを存在として認識させることができるのは、「ない」という思考回路ができる人間だけ。
そしてそれこそが人間の強みなのです。
「〜ではない」と認識できるということは、当然その逆の「〜である」という認識につながり、それをさらに「〜でありたい」と発展させることができます。
「PHSは携帯のような悪い音質ではない」「PHSは携帯のように高くない」。
これはいいですね。
でも
「PHSは携帯のように付加機能が多くない」
これはよくない。
だからこそ「PHSは携帯のように付加機能を多くしたい」と目標を立てて目指すことができるのです。
「〜ではない」という認識ができるからこそ、様々な可能性の中から主体的に未来を選択することができるのです。
人間は進歩する生き物なのであります。
さあ、人間賛歌まで飛び出してきて、まるでもうジョジョって感じですが、決してジョジョネタには走りません。
次回「○○ケータイ学 第二部 その誇り高き血統〜」(やっぱジョジョネタじゃん)
そこでは、主体性を持ち未来を選択する唯一の存在となった人間が、PHSの進歩に更なる情熱を注ぐ物語が展開されます。